小札(こざね)
小札とは、鎧の胴体や腰回り,袖、そして兜など、鎧を構成するあらゆる部分に用いる、鎧の極めて主要な構成要素です。一般的な小札の形式は革または鉄板金を素材とする縦長の小形の短冊形であり,この小札を横方向に革紐で連結し、そして仕上げに何層にも漆を塗って極めて強固な小札板とします。そしてその小札板をカラフルな組紐をもって上下方向に組紐や革紐で連結して仕立てます(この作業を縅「おどし」といいます)。
小札の形状は、歴史的背景に対応した時流のうねりに見事に乗じ、様々な形態に変遷してゆきます。
平安時代の代表的な大鎧とそれを構成する小札です。この時代の戦では騎射戦が主流であり、そのため鎧自体が弓矢の盾となるべく相当大きく、必然的に小札も相当大きなサイズです。幅は大体3cmから4cm程度もあり、大粗目(おおあらめ)小札ともいいます。
鎌倉時代になれば、馬上での戦いのみではなく地に足をつけて走り回る戦い方(徒戦(かちせん)といいます)が一般的となり、それに合わせて動作しやすいように大鎧は少々スリム化してゆきます。それに乗じて小札の大きさもスリムになり、小札の幅は2cmから3cm程度となります。
室町時代の中期頃になれば戦の主流は集団戦で地に足をつけて野原を駆け巡る戦い方(徒戦)が主流となるのに合わせて鎧の構造がかなりスリム化され、また身体への荷重軽減のため軽量化されてゆきました。小札の大きさは平安時代の頃に比べて半分以下の幅のサイズになりました。 室町時代後期には、小型化した小札の強度を増す意味で盛上小札という形式が発明されましたが、製作にとても手間暇要するため、重臣クラスの鎧で流行しました。
室町時代末期の応仁の乱以降およそ100年間に及ぶ戦乱の世の間に、鎧の形式は凄まじい速さで変貌を遂げました。小札の形式がそれまでの既成概念を打ち破り、従来の小札の特性や機能面を同等以上の品質を維持しつつも極めて製作効率の良い伊予札(いよざね)といわれる小札が発明されました。
戦国時代は歴史解釈によって安土桃山時代と被る時代です。戦に明け暮れる時代のニーズに合わせ、伊予札と同じく小札の形式が劇的に変貌を遂げた末に行き着いたのがいわゆる板物といわれる形式であり、もはや小札とは一線を画するものです。